南相馬修道院からの便り

「飯館村長泥地区の視察



5月の下旬に、カリタス南相馬のスタッフの研修として、
飯舘村長泥地区の視察をさせていただきました。
飯舘村については以前書いたことがありますが、
そんなに記憶に残るようなことでないのでもう一度書きます。
読み進んで、ああ読んだ覚えがあると思われれば記憶装置がまだ正常です。

東電原発事故で、飯舘村も全村強制避難の地域です。
外で活動できない飯舘村の中学生の保養に暁の星の研修センターに招待して、交流したことがありました。

村の大部分が解除された時、長泥地区は住民が少ないという理由で除染されず解除されないことになって、
地区の住民が国に解除の要請をした時、国は除染土を利用する実証実験に応じれば除染をしてやる、と。
住民は実証実験も止むを得ずと了承して、除染が実施され最近帰宅困難区域が解除されました。

しかし、除染され解除されても交通手段もお店も、病院も何もない村に誰も戻ることはできません。
立派な集会所はできていますが、村の人が集うことはないのではないかと思います。
そして、お米やトウモロコシ、野菜の畑を作るのに、放射能汚染された表土をはぎ取って、
高線量の除染土は中間貯蔵施設へ運ばれ、一定の線量以下で資材化された土は畑となるところに入れ、
その上に50センチほど放射能汚染のない山土をかぶせて、畑や田んぼとするのです。  
そして実験的に植えたお米や野菜、花などの線量を測って、基準値を超えていないことを確認し、
安全と判断されれば、出荷となるのかと思いきや、そうでないことに驚きました。

今回初めて私たちも知ったことですが、農家さんは避難先の福島市から1時間以上かけて通って、
作物の世話をし、収穫をしても、実証実験は環境省の管轄で、出荷はできないで、廃棄となるのです。
これを聞いて、怒りがこみ上げてきました。お米や野菜はともかく、
口に入るものでないお花は出荷して生産者のお小遣いにでもなればいいのにと!!

今回視察に行った私たちは、実証実験で栽培されたお花をいただいて帰りましたが。

国の政策とはいえ、生産者の方たちの気持ちを踏みにじるようなやり方に心が痛く、
何とか方法はないものかと考え込んでしまいました。
今回直接生産者の方と話し合えたことは、私たちにとって大きな収穫でした。
私たちが小高に住んでいますというと、「小高もおんなじだろう!」と、同情してくださいました。
苦しみを経験された人は他の人の苦しみにも敏感なんだなと感謝しました。
小高はまだまだましです。
電車も通っているし小規模ですが、お店もあります、病院もあります。
(最近のニュースで、長泥地区のお米が今年から出荷できるとの嬉しいニュースがありました。)


「わたしの召命物語 -福島の原発事故と広島の原爆-


福山暁の星学院の事務局で働いていた時のことです。
暁の星小学校の体育館が古くなって、建て替えが必要になりました。
改築計画の中で資金調達が一番大変な懸案事項で、少子化の波が近くやってくる予想の中で、
数億円かかるこの事業の資金をどのように調達できるのか頭の痛い課題でした。
全国のカトリック学校や教会、企業の寄付を仰ぐことで、乗り切ろうと、
準備を重ね最終段階の寄付金の依頼書を書き上げ、郵便振り込みの手数料無料、
切手不要の手続きのために、2011年3月11日午後、福山東郵便局に行きました。

手続きを終えて郵便局を出た時、午後からの仕事がどれだけできるかと、
腕時計を見たのが午後2時45分でした。
車で学校に帰ってみると、
「シスター大変!!」と受付の職員が血相を変えて
「東北が大地震で大変な様子です!」と教えてくださいました。

テレビの臨時ニュースを見て、
「こうしちゃおられんよ!寄付金は、うちよりこっちに必要だから、
今やってきた手続きを取り消しに行ってくる」と言って、すぐ福山東郵便局へ取って返し、
「先ほどの手続き、キャンセルします。止めてください!東北が大地震です!ニュースを見てください」と。

それからは皆さんも同じだと思います。
テレビのニュースにくぎ付けです。
次の日もっと大変なことが起こりました。
東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故、次々と爆発、放射能の拡散・・・
外国メディアから、広島・長崎を思い出させる、きのこ雲の写真。
これを見た時、これはただ事じゃない!!一大事!!子供のころ、
放射能の恐ろしさをいやというほど聞かされたことを思い出しました。
さすがにあの皮膚の垂れ下がった幽霊のような姿の報道はありませんでしたが、
広島の原爆で内部被爆のため多くの人が外面的な傷がないだけに人知れず苦しまれたことを知っている私は、
この事故にあわれた方々の苦しみを想像しました。

そして、遠いところの、心が痛んでおられる方々のそばで、
私でも何かお役に立てることがあれば、飛んでいきたいと思いました。
でも現実には小学校の体育館の建て替えのこともあるし、
福山暁の星学院の事務局の仕事を引き継いでもらえる人は急には現れないし、
自分の本文をしっかり果たすことで、心を寄せ、祈りながら、情報を集めながら時を待ちました。

広島で肥田舜太郎先生
(以前書いたと思いますが、広島の原爆の時、郊外に往診に出ていて助かったお医者さん)
の講演がありました。
福島の原発事故と原爆との関係について、目に見える被害はなくても、放射能を吸い込んだり、
汚染された水、野菜などの摂取によって内部被ばくの恐れがあることを強調されていました。
このお話を聞いて、私はもっと強く福島の人々と共に生きることを望むようになりました。
その後の展開は次回に譲ります。

今日はここまで、皆さんお元気でお過ごしください。

援助マリア修道会 南相馬修道院 北村令子






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