南相馬修道院からの便り

「ただ聞くだけ、ただそばにいるだけで…


過ごしやすい季節となりましたね。
最近はちょうどよい季節というのがなくなって、
暑いか寒いか急激な季節の変わりように戸惑いを感じます。

月に1度か2か月に1度の割合で東町の復興団地の目の不自由なご婦人の個別訪問をしています。
お訪ねすると、お一人暮らしのために、あまり人と話す機会がないのか、いろんな話をしてくださいます。
なかなか腰を上げられないほど、いくらでも話し足りないようです。

ある土曜日、お訪ねした時には、子供のころの話をされて、
村上地区(津波で全戸72戸が全滅した地域)には小さいが船を持っている家が6,7軒あった。
その船で、ホッキ貝を捕ると、小高駅のすぐ近くに処理場があって、
そこでホッキ貝を茹でて、身を開いて干すのだそうです。
子供のころ悪ガキたちが、自分もその仲間だったが、ちょうどよい頃のちょっと手前で、
頂戴するのがスリルとおいしいおやつになるので、よくやっていたと。
ホッキ貝はこの地方の特産で、ホッキ飯という炊き込みご飯は本当においしいのです。
桜色の優しいピンクの身がおいしくて、私は大好きな炊き込みご飯です。
でも少しお値段が???あまり手が出ないのですが。

伝馬船でヒラメの漁に出かけた人が帰ってくると、
その場ですぐさばいてお刺身が食べられるんだよ!!こ~んな大きなヒラメだよ!
50~60センチ?ウマいんだよ!!
(私ももっと大きなヒラメを実際に見ました。今まで福山でいただいていたのは、
せいぜい2~30センチくらいだったので驚きました。5センチ以上の肉厚)

ひとしきり話して、「子供のころの楽しい思い出を北村さんに話せてうれしかった!!
なかなか聞いてくれる人がいないから。」と。

この地域の人たちに何にも役に立つようなことができない私ですが、
こう言われて、ただ聞くだけ、ただそばにいるだけで、こんなに喜ばれるのかと、驚きでした。
このご婦人は、震災当日、小高の精神科の病院にお勤めでした。
病院は山手の方にあったので津波の被害はなかったのですが、
小高は全住民強制避難ですから、入院患者の避難は大変です。
しかも精神的な病気の方を受け容れてくれるところがなかなか見つからないのと、
一人ひとりの薬の処方など本人が覚えられないので、
紙に書いて首に下げて送り出すのにてんやわんやだったそうです。
全員を送り出した後、自分達の避難です。
何が何だかわからなかったといわれます。

ご自分の実家の村上地区は全滅で、
お兄さんと奥さん(義理のお姉さん)はいまだに行方不明のままだそうです。
そして仮設住宅の避難所生活はストレスが大きく、ある日突然に目が真っ暗になって、
お医者さんにかかったけれど、治らなくて不自由になられました。
ぼんやりとは見えるようですが、字を読むことができません。
2016年7月に小高の避難指示解除で、
復興住宅の抽選に当たって東町団地にご主人と一緒に入られたそうです。
ご主人は宮大工さんでしたが、お仕事もできなくて、
団地に入られて間もなくお亡くなりになって、今お一人で生活しておられます。
仙台に避難された息子さんが、お母さんを引き取りたいようですが、
ご本人は目が不自由なため、新しいところでは勝手がわからないので、
今のまま東町団地で過ごしたいようです。

この方は私がたまたま出会った方ですが、
このような境遇の方がきっとたくさんおられることでしょう。
そのような方を近くの方が助けてくださればと願っています。


「わたしの召命物語 -幸せだった29年間-


福山暁の星学院の事務局で働くことになって、29年間も居座ることになってしまいました。
この間にいただいた恵は、私の人生の一番幸せな時でした。

もっとも私はいつの時も幸せに満たされていました。
神様は私が弱い人間だとご存じなので甘やかしてくださったと思います。
早く父親を取り上げた代わりに恵みで満たしてくださったのでしょう。

事務局の共に働いてくださる事務職の先輩方は本当にやさしくて、
助けが必要と感じたらすぐ声をかけてくださいます。
教員のある方は「事務室は僕のオアシスです。ほっとします」 と言ってくださって、
度々のぞいてくださいました。

教員を経験していた私は、先生方がいつどんな助けが欲しいかがわかるので、
それも大いに助けとなりました。
シスターとして神様のことを直接話す機会はなくなりましたが、
生徒にかかわってくださる先生方が、ご自分を通して神様の愛を伝えてくださるために、
より良い雰囲気、環境を整えることで、
人生の土台を築いている生徒の成長に私も寄与していると自覚していました。

事務職を通して出会ういろんな業種の方にお会いして、
たくさんのことを学ばせていただきました。
私が学校の立場から苦言を言うこともたくさんありました。
その時、業者の方の態度にいつも感心していました。
決して声を荒げることなく、まずご自分をひいて、
通すべきことはきちんと言われるその姿勢にいつも心を打たれていました。
私もこのように、まず自分の非を認め、でも譲れないことはきちんと伝え、
理解していただくことが大切なことと気づかされました。

また、事務局で働かせていただいて、
私は自分が住んでいる地域を正しく知ることも学ばせていただきました。
私は福山は田舎町で、岡山と広島に挟まれて文化的な高尚なものは素通りしてしまう残念な町と、
卑下した考えを持っていました。
事務局長として、会社の社長さんとか銀行の支店長さんなどと話す機会が多く、
ある銀行の支店長さんが、転勤でいろんなところを回ってきたが、福山という地域は、
小さな会社や工場でも新しいことに挑戦する気風があると、
とても前向きに福山を評価してくださって、そんな見方もあるんだと「目からうろこ」でした。
人生の生き方、心の持ち方、いろんな面で多くのことを学ばせていただいた、
幸せな29年間の事務局生活を送らせていただきました。

まさかこのような人生を送ろうとは想像もしていませんでした。
神様の恵みの奇跡を賛美したいと思います。

今日はここまで、皆さんお元気でお過ごしください。

援助マリア修道会 南相馬修道院 北村令子







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