南相馬修道院からの便り

「原子力発電所における緊張の廃炉作業


お盆を過ぎ、朝晩は少しひんやりしてきました。
暑い夏から解放されて、やっと人心地ついて、新しい何かを始める気が起きてくるようです。

この暑さの中でも、東京電力福島第一原子力発電所の廃炉作業は続いています。
毎日4,500人もの作業員の方は防護服の重装備で、高線量の作業現場で働いておられます。
第一原発は東京ドーム75個分に相当する広大な敷地で、2051年の廃炉完了に向けた作業が進んでいます。
(おそらく2051年までには完了しないと思われます。)
1号機では現在、原子炉建屋3階の燃料プールにある使用済み燃料392体の取り出しに向けて、
建屋を覆う大型カバーの設置工事が進んでいます。
1号機は2011年3月12日の水素爆発で建屋上部が吹き飛んで鉄骨がむき出しになっており、
使用済み核燃料を取り出す作業で、
放射性物質を含む粉塵が空気中に飛び出さないよう大型カバーで覆う作業です。



このような過酷な作業が、まだ数十年続くのだそうです。
地震や災害の多いこの日本列島にまだ、33基の原発があり、
政府は、脱原発から再稼働、稼働期間の延長、増設などに舵を切って、
原発の最大限の活用をしようとしています。
より厳しい対策が講じられたとしても、どのような非常事態が起こるかわかりません。
南海トラフの巨大地震も数十年後に確実に起こるのでしょう!!??

その時に福島の二の舞とならないためには、どうしたらよいか、
後世の人々から感謝されるような対策を今の私たちが真剣に考えて、
声を上げていかなければならないのではないでしょうか?

ことが起こる前に、安全安心の神話から抜け出して真剣に、
自分のこととして考え、行動していきたいと思います。
と言っても、私のできることは、皆さんに福島の現状をお知らせすることぐらいですが、
できるだけ多くの方に知っていただきたいのです。
一つの事故がどんなに長い年数(数十年~100万年単位)、
どんなに多くの人々(自然界の苦しみも含めて)に苦しみを強いるかを!!


「わたしの召命物語 -奇跡の連続 事務局長として-


高校生、中学生を相手に、17年間も教員生活が続いたのは奇跡です。
しかも、生徒指導にかかわって、私は心の底から充実感を覚えていました。
その時に、修道会の長上から「事務職員として働くように」と言われました。
経理の経験なんてないに等しい私に、そんなことができるのかと心配になり、
「お断りする自由がありますか?」と尋ねました。
長上の答えは、まさかの「いいえ」でした。
「自分にとって、今、任されている生徒指導部長の仕事が私の一番心にかなった働きで、
神様の御心にかなった働きだと思います。」と言いましたが、
やはり修道会を通して示される神様のみ旨に「はい」と答えるのが、誓願生活の根幹であり、
自分のやりたいことをするために修道生活を選んだわけではないことを思い返して、
長上に「はい、お受けします」と答えました。

非常勤で小学校、中学校、高等学校の宗教の授業を担当しながら、また専任に返り咲いた時も、
修道会の地区会計を7年間ほど兼任してやってはいました。
しかしそれは学校の会計とは全く違う性質のものでした。
事務室に配属されて1年間は見習のような立場で、大きな責任もなく過ごしていました。
1年後3月の決算が終わり、4月の初めに当時の事務局長のシスターから、
「そろそろバトンタッチをしましょうね」と言われました。
「え~ぇ、私が事務局長の役を引き受けるんですか?」、
「そのようですよ!」「ちょっと待ってください!!」この会話の2,3日後に、
そのシスターは脳梗塞で倒れてしまわれたのです。なんの引き継ぎもありませんでした。
集中治療室に呼ばれ、学院の印鑑や重要書類のあるところだけを知らされましたが、
その後は彼女は何も答えられなくなってしまわれました。

学校会計そのものが全く分からない私に、理事会・評議員会での決算報告ができるはずがなく、
途方に暮れるとはこういうことだと実感しました。
幸い、会計士の先生などの指導に助けられて、船出ができました。
本当にどんなに多くの人々が私を助けてくださったことでしょう。

奇跡の連続でした。

そばで一緒に働いているシスターが、私には「動物的勘があるね」と言っていました。
本当に期限直前に提出すべき書類が見つかるのです。
間に合うタイミングで!!その期限に間に合わなければ億単位の補助金が入ってこなくなるという、
重大な書類もありました。
最初の予算決算の時には、会社の社長さんや経理責任者などが、
年度末によく自死する記事がありましたが、私もその気持を味わいました。
このような人たちの苦しみ、不安、そして自殺を選ぶ気持ちなどを味わって、
「私はそのための奉献生活者なのだ。
この職種の人々、社会の大部分の労働者の声として、神様に捧げる使命があるのだ」と、
改めてこのミッションを受け取りなおしました。

そして幸せな29年間の事務局生活を全うしました。
まさかこのような人生を送ろうとは想像もしていませんでした。
神様の恵みの奇跡を賛美いたします。

今日はここまで、皆さんお元気でお過ごしください。

援助マリア修道会 南相馬修道院 北村令子







TOP援助マリア会とは援助マリア会の霊性援助マリア信徒の会日本の援助マリア会世界の援助マリア会