南相馬修道院からの便り 「見さ、来う南相馬」 小高区のまちづくりワークショップの3回目が行われました。 2回目は都合が悪くて参加できなかったので、 ついていけるかどうか不安だったのですが、 これまで出た意見を地図に落とし込んで、 足りないところ、付け加えたいところ、強調したいところなどの意見を出し合うことで、 私にとっては、小高を知るために大変役立ちました。 小高は大変古くから栄えていたところらしく、縄文時代 の住居跡(浦尻貝塚)があります。 海を見晴らすことがで きる高台にあり、大規模な縄文時代(5700 年前)の集落遺 跡です。 また、大蛇伝説の大悲山には、 日本の三大磨崖仏(栃木県の大谷磨崖仏、大分県の臼杵磨崖仏、福島県小高の大悲山磨崖仏) と言われる岩に掘った仏像群(薬師堂石仏、観音堂石仏、阿弥陀堂石仏)があります。 平安時代前期のもので、見事な遺跡です。 この地域の信仰 心の深さを物語っているように思います。 南相馬便りにもよく登場する相馬藩の菩提寺、同慶寺も由緒あるお寺です。 (3.11 慰霊祭で幸田司教が挨拶をしている) 相馬家代々領地として治めてきた相双地域(福島県浜通り地方北部)には、 相馬家一族 の墓地点在しています。 それらのうち、 明 応 5 年(1496)に13代相馬盛胤が先祖の供養のため再興させた同慶寺には 16代から27代までの27人(当主とその一族)が葬られて います。 また、本堂の奥には平安時代の仏像もあり、 このお寺がいかに古くからあるかということがわかります。 この同慶寺で毎年3.11には、カトリックの私たちも参加して合同慰霊祭が行われます。 まちづくりワークショップで、 私は小高のこのような歴史的・文化的・宗教的な薫り高い風土を もっと強調してほしいと意見を出しました。ぜひ、来てみてください。 「見さ、来う南相馬(みさ、こう みなみそうま」見に来てください。みなみそうま。 「わたしの召命物語 -人を愛する心-」 教師だけにはなりたくないと言っていた私が、 その後17年間も福山暁の星女子中学・高等学校の先生をすることになります。 本当にたくさんの経験をさせていただきました。 先生方から、そして教え子である生徒たちからも、 私の人間としての成熟を助けていただいたご恩は決して忘れることができません。 忍耐力も養われました。 何よりも人を愛する心は、中学生・高校生を相手にする時、要求される能力です。 私は人間として一 番大切なこの能力が成長していなかったと気づかされました。 それは以前書いたようにPTSDを発症した時です。 子供のころから父がいないから、母を困らせてはいけないという気持ちから、 甘えること、愛されることにブレーキがかかって、愛することに成長していなかったのです。 人は愛された分だけ愛することができる。 母は十分愛していてくれたのですが、自分にブレーキがかかっているから、 受け取ることができていなかったのだと思います。 生徒たちはそのような私に容赦なく愛情を要求してきます。 それにふさわしく応えられない自分が情けなくて、自分を立て直す時をいただきました。 5年間、専任を外していただいて非常勤で 小学校・中学校・高等学校すべての年齢の子供たちと関わらせていただきました。 苦しい5年間でしたが、神様は、私に、父なる神のいつくしみ深い愛情を注いで、 内面から湧き上がるような、温かい血が通う体験をさせてくださいました。 そしてもう一度、今度は私の方からお 願いして、専任教員としてカムバックさせていただきました。 特に両親がそろって、深い愛情を注がれながら、 それに気づかないで横道にそれてしまう子供たちに、心をかけて関わるようになりました。 生徒指導部長としての任をいただいた時には、特に心を込めて、 問題を抱えている生徒に接して、神様の恵みを願いながら、関わるよう努めました。 そしてその生徒と周りの友達や保護者の方のために、必要な神様の恵みを祈りました。 本当に恵みいっぱいの教員生活を送らせていただきました。 神様のなさり方は、本当に人知を超えたもので、 このような人生を送ろうとは想像だにしていませんでした。 感謝々々です。でもその後の展開はもっと驚くことが起こります。
今日はここまで、皆さんお元気でお過ごしください。 援助マリア修道会 南相馬修道院 北村令子 (このシクラメンの鉢植えは、 小高工房の男性職員の方が、種から育てて、 2枚葉の時に 修道院に下さって、見事に花を咲かせました。 私はシクラメンが種から育てられるもの だと知りませんでした。 球根で増やすものだとばかり思っていました。 季節外れですが、うれしくて写真を撮っていたので載せました。 人生もこのようですね!)
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